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日々の研究活動を報告します
受賞記念講演を行います。 http://www.kochi-u.ac.jp/JA/event/120306ken.htm 最近僕はフェイスブックを主流にしているので、ここのブログはあまり更新してません。 最近思うこと。「彫刻」と「人形」の違いってなんだろう? 高知に来て、地元の彫刻愛好家の方々との交流の中で思うことは、50代以上の方々が作る(抱く)彫刻像がアカデミックな近代彫刻であること。いわゆる大学で習う人体彫刻。基礎とされる部分。 一方、今の学生や僕ら世代は、そういう近代彫刻的な人体彫刻よりもフィギュア的な表現に親しみを覚えることがある。もちろん大学ではアカデミックな人体彫刻の勉強をするが、それらとフィギュアを同義と考えて違和感をあまり感じない。求めるもの(例えばムーブマンとか)が被るところがおおいからか。 ご年配の方からよく指摘されること。「これは彫刻ではない。人形だ。」「もっと彫刻的に捉えて。」という内容。 どうやら上の世代の方には彫刻と人形が同義とはならないようだ。伝統芸能に用いられる人形など、昔から「フィギュア」と並ぶものがあるが、そこは「彫刻」を「彫刻的」な要素を用いて明瞭に区分しようとする。その「彫刻的」というものが明瞭ではないが、感覚としては確かに実感されるものとして価値共有できる。 私自身、ご年配の先生方と彫刻について交流する際、その価値共有の部分が唯一の共通言語となっている。それ以外のところは、すれ違いが多い。 この「彫刻的」といわれる不確かで確かな感覚は、どうやら普遍のような気がする。立体造形を教える上で核となるものか。ただ、その教え方がわからない。本質的な部分であるが故に、学生~教員それぞれが暗黙に共有されてなければ、会話が成立しない。 これは美術予備校にいる時から感じていたことだが、「彫刻」は、キャスティング等の技術は教えられても、感覚を教えることはできない。「良い」「悪い」「どうだろう?」という感覚は、これまで或いはこれから作品を見る中で、各自の気付きをもってしか獲得できないような気がする。 PR
僕が高知において最も尊敬する先生に、珊瑚彫刻の前川先生がいます。
先日、前川先生と返杯(高知でのお酒の飲み方)をしながら、たくさん素敵なお話をお聞きできました。 前川先生の座右の銘は「愛と努力と時間」だそうです。「愛」とは、人間愛に留まらないあらゆるものへの愛情、例えば珊瑚という素材に注がれる無限の愛情を意味します。「努力」は、そういった愛情を作品に込めるのに必要なエネルギーを意味します。「時間」は、努力するために絶対的に必要となるものです。前川先生は、それらを「造形において作家が備えるべき3つのエレメント」とおっしゃっています。なるほど、そのとおりです。 僕にとっての「愛」は、やはり作品に対するテーマでしょうか。最近、ネコと人物の組み作品を続けていますが、まさしくそれらは僕の家庭そのものです。 高知の或る人から、「作品が人形的であって、それは彫刻ではない」という厳しいお言葉を頂きました。彫刻的というものがどのような方向性を示すものかは様々な解釈があるので、ここで賛否を語るのは意味ないことですが、自身の気づかない視点というものが、様々な角度から投げかけられるのは事実です。 ただ、何があろうとも前進あるのみ。 僕の座右の銘は、「凡を極めて非凡となす」です。 師匠の受け売りです。
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